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学びのコミュニティ研究会

発会記念シンポジウム

学校、地域はどう変わればいいのか

ンポジスト
木村 清一 桐蔭横浜大学客員教授
金本 房夫 松山市教育委員会教育委員長
関  pカ 新居浜市総合政策課長
コーディネーター
讃岐 幸治 愛媛大学名誉教授
讃岐 幸治
  今年の夏は、大津の中学生のいじめの問題でふりまわされ、また、ロンドンオリンピックの観戦で夜通しがつづき、なにせ忙しかった。これらやっと一休みというときに、この会の開催。多様な立場の人たちにお集まりいただいて、まずは感謝。

  子どもの世界をみると、いじめや不登校、校内暴力、学びからの逃避。学力の二極化、体験活動の欠落、そこから起こってくる対人関係能力の低下.など、さまざまな問題が起こっている。
  家庭、地域、学校は悩んでいる。努力している。各機関にしても何とかしなければと、それなりに頑張っている。なかなか目に見えて成果はあがらない。地域もNPO等もがんばっているが、なかなかうまくいかない。互いに学校が、家庭が、地域がもっとしっかりしてくれればと、イライラしている。家庭や地域からすると「学校がもっときちんと面倒を見てくれたら」と。学校と地域の間は無関心の状態より相互不信、誹謗中傷のしあいの状態になっているところが多い。

  家庭とか地域とか学校とか、3者が一緒になって共同連携して、「協働」して子どもを育てていくことが大切である。3者が一堂に会して、どういう風に子どもを育てるかという話をしたことがあるか。学校は学校の教育目標があるが、それが地域の人たちにどのように反映されているか、地域にもそれなりの思いがあろうが、それらを地域の中にとどめているだけではないだろうか。

  学校、保護者を含めて地域の住民、関係機関など、地域の子どもたちに関わる関係者が、当事者意識もって、それぞれの悩み、願いなどをさらけ出し、子育ちのために協働して取り組んでいく必要がある。いまや子どもの教育は学校だけではできない。学校は疲弊してしまっている。学校としては何かをしなければと思って努力してみても、学校のみでは限界がある。地域で子どもを育てるためには、学校のみでなく、地域の住民、NPO、関係機関などが一堂に集い、どういう子どもを育てるのか、どういう段取りで取り組むか、どのような仕組をつくればいか、熟議を重ねることから始めざるをえない。熟議を通して、合意形成を行い、協働化を図っていくことが大事になっている。

  そのきっかけつくりとして、今回は問題提起という形でシンポジウムをしたい。本日は、3名の登壇者に来ていただいた。学校教育サイドからは金本房夫先生。新居浜の関さんには地域サイドから。木村先生は住民という立場から話をしていただく。どのような課題をかかえているか、どう克服すればいいか、協働、連携融合するためには、どのような仕組みをつくったらいいか。そのような流れですすめたい。
  それぞれの悩みを抱えていると思うが、まずは学校教育サイドから。最近の新聞に学校の先生にうつが増えていると書いてあったが。
金本 房夫
  わたしは学校長であったときに問題と思ったことはない。ゆとりが学校になくて教師は忙しいという。はたしてそうか。私はゆとりを次のようにとらえている。ゆとり=(時間的余裕+空間的余裕+経済的余裕+…その他の余裕)×自己充足度、時間的余裕イコールゆとりではない。時間的・経済的・空間的余裕の総和に自己充足度をかけたもの、それが本当のゆとりである。時間的に余裕があっても自己充足度が0だったら、積も0になってしまう。それはゆとりとは言えない。たとえば、釣りに行くようなときを考えてみよう。釣りに行くために、前日までに仕事をてきぱき片付けて、その前夜、釣りの仕掛けをつくり、心わくわくして、当日沖合まで行って、釣り糸を垂らしてゆっくりしたときの充足度、それがゆとりではないか。

  学校が忙しいとは思わない。忙しいからうつになるというが、忙しいと感じるのは教師という職業の特殊性にもよるのではないかと私は思っている。教師は他の職業と比較してたとえば校長から見られている。同僚からも、保護者からも、地域からも絶えず評価の対象にされる。もちろん、子どもからも…。たくさんの眼で見られているというプレッシャーがストレスになり、忙しいと感じているのではないかということ。もう一つは学校には校時帯があり、分刻みで教育活動が行われており、教師はややもすると時間に絶えず追っかけられているような錯覚に陥り、そのことからくる多忙感…。それでも多忙だと感じることはあるだろう。もし、あまり意味のない雑務が多すぎたり、ぎくしゃくした教師の人間関係があれば即刻改善すべきだと思う。

  学校、社会、家庭がどうスクラム組んで子どもを育てていくかと、さきほど讃岐先生がいわれた。学社融合もすべて具体的であり、リアリティがなくてはいけない。その具体的実践を述べたい。

  中島では、東小、天谷小、南小の地域、保護者に開校に向けての実行委員の公募をした。統合されて新設の中島小学校ができた。閉校記念実行委員会がつくられると同時に開校実行委員会がつくられた。委員長は開校された学校の初代PTA会長となった。3年前のことである。学校の校章など、全部地域の方と親とでつくった。「どんな子どもに育てたいか」という校訓は親や地域の人の意見を聞きながら、学校がつくった。
「海の子よ たくましく」海は世界と通じている、何処に住もうがたくましく生きていけるようにという願いを込めた。
「島の子よ心豊かに」とは、島民は寄り添って生きてきた、人情というか、豊かな心というものを伝えたかった。
明日、中島小学校、中学校の校歌を「思いや願いを持って歌っています」と子どもたちが説明しながら熱い思いを地域の人500人に伝え、ふるさとを胸張って子どもたちが歌う。学校からこの熱い思いを地域の人に伝え、どうかサポートしてくださいという意味がこめられている。実践することが大事。実践することが大切
讃岐 幸治
  多忙でなく、多忙感ですか。多忙感はやらされていると思うから。「ゆとり」の教育の時もそう。「ゆとりと充実」はセットだったのですが、充実を忘れた。教師は保護者に振り回されていると聞くが、保護者からの文句も多いのか。
金本 房夫
  多い。教え子が文句言う。一口で言うと過保護ここに極まれるということか。
中島では1年生を1か月間寮から学校へ通わしている。親が、なんで1か月もそのようなことをしなければならないのか、「子どもがかわいそう」と言う。「金土日は家庭に返すから、その4週間の繰り返しにすぎない。」と言っているがそれでも「子どもがかわいそう」と言う。しかし1か月過ぎれば、「やってよかった」と言ってくれる。
  部活を廃部にしなければならない時も、鬼子母神のごとくやってきて、子どもの行っている部活動を廃止しないでくれと怒る。学校は、教育の論理で論破する。教育の旗を掲げて1年間押し通す、親に迎合しない。毅然として論理を押し通すことが、結局は学校の信頼を勝ち取ることになる。
  中学校には校則検討委員会があり常に見直しをしている。文句を言う親に、不服があるなら代表が集まってしているのだから、子どもが中学校に入学して、生徒会に子ども自身がちゃんと意見を言ってくれと言っている。社会へ出てからの基礎基本を学んでいるのだからと言っている。そこで退かない。親におもねない教育を推進してきた。
讃岐 幸治
地域の問題、地域の教育力について。
関  pカ
  地域の教育力は決して落ちていないと思っている。しかし、折角の力が発揮できる場所がない。それが辛い。
  その流れから言うと、ここに堀内先生が参加されているので言いにくいのだが、われわれの住んでいる泉川の話をする。中学校が荒れた時期があった。地域の人間も知っていたが、学校は部外者が入るのを抑えようとしていた。無理やり学校に入っていくのは辛いものがあった。分かっていながらも遠目で見守るしかない、そんな中で堀内先生が赴任されて、学校の中で苦労されていた。先生は、自分たちだけで解決するのではなく、協力を地域の我々に声掛けしてくれた。
「なんとかしてほしい」と。そのことが、地域にプラスに働いた。その一言があるかないかが学校に関われるかどうかの大きな分かれ目だと思う。
地域には、いろんな経験を持った人がたくさんいる。学校に対してなんとかしてやろうと思えば、その力は無限大に広がる。泉川中ではまずは、形から整えなくてはいけないということになった。正門を入ると学校が汚い。なんとかみんなできれいにしようと、自分の家や職場からいろんな道具を持ってきた。建築業の人はトラックを、造園業者は校庭の木々の枝を落としてくれた。すべて無償で。
  学校がうまく声をかけてくれることでつながる。学校と住民に電気が流れる。放課後児童クラブ、放課後子ども教室、そのような事業にも関わらせてもらった。学校支援地域本部事業に関わってこようとする人も多くなってきた。読み聞かせも定着してきたし、子どもたちを連れて、室戸の青少年自然の家に行って一緒に遊ぶことも恒例化した。地域にはたくさんの人材が眠っている。このネットワークをもっともっと広げていって地域の財産にしていければと思う。
讃岐 幸治
  すべて自分でやろうとする。頼み方が下手ですね。「頼みますよ」といわれたらひと肌脱ぐ人もいるかもしれない。
E.Hエリクソンは言っている。「成熟された大人は必要とされることを必要とする」と、役に立ってもらう仕組みを考えていけばいい。住民の方々には優れた人がたくさんいる。普通一般の人たちは頼まれることを待っている。また、自分の関心のあることだけにはかかわるという、そのような人が増えているように思う。都市ではどうか。
木村 清一
  愛媛大学の社会教育主事講習の仕事で松山にきました。ゆっくりしようと考えてい ましたが仙波さんから、このシンポの話を聴き、何もわからずに引き受けました。

  私は桐蔭横浜大学で「社会貢献論」の講義と実習をセットにしたサービスラーニングを担当しています。講義は15回、実習は30時間です。このサービスラーニングを導入し て4年になります。導入の動機は、現在の大学生は社会性が欠落しており、社会に貢献す る活動を通じて、人間関係能力や日樹慣行納涼、社会規範能力などを身に着けるきっかけ になることを期待しています。
 実習先は子育て支援、子どものスポーツ支援、障害者の自立支援など広範囲の分野で、ほとんどはNPO 法人です。この実習は現実の社会に目を向けるきっかけになることも 期待しています。サービスラーニングを履修した学生の有志は東日本大震災支援ボランテ ィアティームをつくり岩手県野田村の支援をしています。

  地域の変化についてですが、自分さえ良ければ良いと考えている人が多くなったと思います。では住んでいる地域に期待をしないかと言えば、子育てで地域に期待しているが、 自分は関わりたくないという人も多いようです。学校や地域にすべてを任せるという考え 方を持つ人が増えています。学校は地域の期待を背負い教員はストレスで押しつぶされる 感じに見えます。大学の教員もさまざまな手続きが多くストレス一杯です。

  これまでは地域社会に教育があったために、教員はある程度安心して学校教育に専念できたと思います。社会教育も健在でした。地域には青少年の集団が存在し、社会性を育む 活動が展開されていました。子どもたちのニーズに応える総合型の少年集団をつくることも課題でしょう。
 公民館は青少年から高齢者までの学びの拠点であったが、現在は青少年の姿は少なく事業も少ないようです。社会教育の予算は少なく、職員も少ないことか、学校と家庭の間の教育が弱くなったことが地域の教育力を低下させた要因だと考えます。社会教育の復権が学びのコミュ二ティづくりの原点ではないでしょうか?
讃岐 幸治
  学校教育にしわ寄せがいっている。昔はガキ大将文化もいっぱいあった。薩摩の郷中教育ではないが「嘘をいうな、負けるな、弱いものいじめをするな」と徹底してやっていた。
公民館が学びの拠点としてもう一度立ち直らないといけない。今の状況だと公民館不要論が出てきても仕方ない。どこかで楔を打たなければいけない。公民館がさかんな新居浜ではどのようにしているか。
関  pカ
  熟議が一つのキーワードになっている。みんなが自分の地域や学校のことなど腹を割って話し合うことができるかどうか。公民館はもともと荒れた日本を復興させるために、みんなが集まって何ができるか夜な夜な議論していた。何をするか、議論をして導き出していた。公民館はそのような場所だった。今の社会ですべての人々を同じ方向にひっぱっていくのは難しいが、同じ地域に住んでいるのだから、いいものに、幸せに感じるものを話し合うこと、導き出していくことはできる。
  また、公民館は議論するだけでなく、実践しなくては本当の公民館の元気を取り戻すことはできない。木村先生の話にもあったが、社会教育が厳しい状況にある。行政によっては、社会教育なんかそんな成果が見えないものには税金をかけないという人もいる。が、地域を変えていこうという思いがあるのなら、公民館もこんなことができると行政に見せて、予算をつけなくてはと思わせればいい。
讃岐 幸治
  地域にはまだまだ力があるということ。学校はそれらを使いこなすことができない。学校としては地域の人材、資源、歴史・文化、知恵、考え方などをどのように引っ張り込んでいくか。学校力というか、学校が元気になるために、地域力をどう引き入れたらいいか。
金本 房夫
  どういっても、核になるのは学校だと思う。家庭教育でなにができるか。わがままな親が多くなった。おやじの会の内容がPTAに反映されて参画できるようになればいい。
  家庭教育は崩壊している。そこで、学校と公民館とどう結んでいくか。両方が仕掛けることが必要。過去に公民館長をしていたことがある。中島には六つの有人島があるが、出前公民館をした。野忽那にいって、シーサイドの歴史などを女性校長に詳しく解説してもらった。学校教育と公民館の連携である。
  また、公民館のイベントに学校の子どもをひっぱりだした。文化祭では800人が集まる。子どもが来れば、親、祖父母が来る。公民館のソフトボール大会には始球式に、中島の3校の校長に始球式をしてもらった。住民に学校の生き方の協力する姿を見えるようにするためにである。
夏休みなど、学校教育を地域の中でどう働きかけるか。
  明日、トライアスロン前夜祭がある。水軍太鼓は中学生、全員で私が作った中島讃歌を歌う。トライアスロンのために、2回ほど海岸を掃除。中学生が戦力となる。この暑い中、年寄りの多い島で海岸掃除をしてくれる団体は中学生以外にいない。それこそ、社会貢献である。役立つ喜びを体験する。
  戦後、体験学習と言ってきたが、体験しっぱなしで終わったから、駄目だった。教師は子どもに、「海岸がきれいだと気持ちよくプレイできるね」と体験を意味付けてやる。そうすると、経験となって生きる力となる。社会に対して、中学生が役立つ喜びを体験する。だから、学校に協力する。このようなことを、繰り返しやっていく。
中島にはビオトープがある。「米を作って食べて美味しかったね」で終わるのではなく、稲刈りから脱穀までさせる。もちろん、出来上がったものは自分たちも食べるが、お世話になった人たちにも持っていく。しんどいことを体験させないと、おいしい田植えや稲刈りだけでは勤労生産学習ができない。学習ボランティアの人たちやお世話になった人たちに喜んでもらえることで、自分たちも喜ぶ。そんな形で地域に入っていかないと、学校教育を推進しているだけでは地域の人は入ってこない。私の最後の校長での卒業式のこと、40名の生徒が卒業したが、「地域の学校だから、ご両親、祖父母も来てください、皆の学校ですよ」と案内を出した。

  40人の卒業生に、保護者席130人ほど、来賓を合わせて200人近い人が、卒業式に来た。それが仕掛け。島ならではできるという考え方もあるがアイデアが勝負である。中学総体前でも新人戦前でも、地域の人が運動場を使用したい場合は使わせた。学校が偉そうにしていてはいけない。協力していれば、協力してくれる。
讃岐 幸治
  地縁社会は崩れている。子縁社会をどう作るか。地域のカスガイは子ども。子どもにはいろんな人がからんでいる。そこにコミュニティを作っていくことを真剣に考える。子どもを育てるという目標のもとにスクラム組む。一つの土俵ができる。
  また、体験をいかに経験化させるか、また学びの成果をいかに地域に役立てるか、還元させるかが大事だ。かかしを作っても学校に飾っているので意味がない。田んぼへ持って行って初めて役に立つ。「子どもは必要とされて大人になる」ともいう。地域と学校との間に相互乗り入れ、相互還元がないと、なかなか信頼はうまれない。
木村 清一
  いままで市民とは何かを吟味しないで使ってきたと思います。市民活動の主役は市 民と言われていますが「市民」のイメージが明確でなく、役割も明確でなかった。神奈川 県大和市では。「市民によるまちづくり条例を市議会で可決した。そこで市民とは、子ども、 大人、障害者、外国籍の人、通勤・通学をしている人など多くの市民によって構成されて
いると規定している。このような市民のために市民は何ができるか、行政は何ができるかを明らかにしている。
  行政は市町村の振興計画を作成しているが、観光で何人客を呼べるか、何を「作れば儲かるという視点ではなく、市民のために何ができるかを検討すべきではないだろうか?
讃岐 幸治
  住民を市民へ、市民を志民へもっていく手立てを考えていく必要がありそうです。学校と地域、どう融合したらいいか。連携とか融合とかいうが、信頼関係がないとどうしようもない。お互いの立場をどう理解するか。お互いの力を出し合うようなものを構築できるかどうか、そのような事例はないか。
関  pカ
  去年、公民館主事で社会教育主事資格をとった4人が今回参加している。彼女達は自主的に新居浜からやって来た。その志がすばらしいと思う。
  昨年度、新居浜の船木公民館で熟議をした。そこには中学校の生徒会メンバーが企画段階から入ってもらった。大人と一緒に子どもの意見も聞きながら一つの企画を練り上げていってたいへんプラスになった。船木校区には池田池というため池があるのだが、そこで地域のみんなが集まって、ラジオ体操をすることになった。地域の体育振興会のメンバーと中学校生徒会で計画したが、発案そのものは子どもたちである。ワークショップした結果、ラジオ体操ということになった。みんなの絆をつくるため2.6kmの池の周りを囲んで手をつなごうという企画である。7000人の人口で1200人くらい集まった。早朝雨が降ったのでやや人集まりが悪く、実際に手をつなぐまではできなかったが、中学生の企画が実現できたということと、手伝わされたのではなく自分たちがやったという達成感をもってくれた。中学生が地域の住民としての役割ができた。 子どもも活かされるし、大人も地域の顔や学校の顔がはっきり見えたと思う。こんな活動の積み重ねがあれば、地域活動を続けてやっていかなければいけないという思いが広がる。
金本 房夫
  自分の住んでいる地域。自分のふるさとをよくしていこう、そのためには中学生として大人として何ができるかということ、足元をみつめた教育でないと融合にならない。
  向都離村の教育、都に向かい田舎を離れる。文部省唱歌の「ふるさと」はその典型的な曲。大好きだが大嫌いである。望郷故郷、都会に出て行った者がふるさとを思う歌である。富国強兵で国を豊かにするにはやむおえない政策だったのだろうけれど、郷土愛なくして祖国愛はない。だから、愛媛県の大江健三郎は嫌いである。文学者としては優れているが、海外で日本をぼろくそにいう。自分の親や地域をぼろくそにいう人を信頼できない。
  自分の住んでいる地域や学校をよくしていこうというような教育を仕掛けていく。地域の良さを啓発していく。地域に根差した教育を推進していくことが必要である。
讃岐 幸治
  学校は「地域に開く」、ついで「地域に根差す」、さらに「地域と共に」生きる方向にすすんでいる。一寸法師も都志向だったが、白雪姫は森志向だった。ふるさとを地域学などの取り組みを通して知っていくことも大切だ。地域に愛情がないといい地域はつくれない。地域を知らないと地域への愛情はわかない。ふるさとに目を向けさせる必要がある。農作物の地産地消で地域をアピールしているが、我々としては「教材の地産地消」を考えないといけない。
  協働の仕組みをつくっていく場合、「公民館を拠点として」がいいのか、「学校を拠点に」がいいのか、熟議を行える地理的範囲としては、中学校校区でないとどうしようもないのではないか。広すぎたら空中分解する。お互いがワーワー言える社会にしていかなくてはいけない。学校か公民館か。
関  pカ
  私は公民館を考える時に建物としてだけ考えていない。機能として考える。地域の人がつながってみんなで力を合わせて何かをやっていくところが公民館であればいい。しかし、子どもは公民館には来ていない。松山の生石地区などは、公民館の中に子どもが溢れていてびっくりする。
学校と公民館が相互乗り入れができる仕組みをつくらないといけない。学校にも大人が顔を出して、、学校という場所が機能も充実して友好的になるといいと思う。そのような関係ができたら地域の風土が変わる。
讃岐 幸治
 確か飛騨高山には校下公民館といって、昔は学校のなかや横に公民館があったと聞いたことがありますが。
木村 清一
  学びのコミィ二ティを推進するために学校または公民館が主導権を取る発想ではなく、パートナーとして、プログラムを展開することを考えてみるのも方法ではないでしょうか。
その際、対等、透明性、課題の共通理解が前提になると思います。
金本 房夫
  共に。どちらがやってもいい。ナイスパートナーシップが必要。学校サイドから言うと信頼がないといけない。開かれた学校というが、隠してはいけない。臭いものには蓋をしない。
  学校にいたときのある参観日、その頃いじめが起きていた。それで、生徒会でアンケートをとった。「いじめがあります」と大きく生徒会黒板に書いてある。現在いじめられている子が2人、過去にいじめられた経験のある子も堂々と書いてある。教頭が心配して消した方がいいのではないかと言ったが、職朝で他の教員に聞いてみた。答えは半々。不安感があったがそのままにしておいた。大人社会にもサルの社会にもいじめがある。子ども社会にないはずがない。中島中学校はこのように取り組んでいますよというのがあればいじめは克服できる。
  またあるとき、不祥事があった。校長として涙ながらに生徒の前でしゃべった。地域のおじさんが、生徒に「中島中学でなにかあったのではないか」と聞いたらしい。するとその生徒が「おじさん、なにをいっているのか、校長先生がちゃんと説明してくれたから大丈夫」と言ってくれた。隠すと信頼関係がなくなる。
  学校は情報鎖国の体質がある。子どものいいことは入ってくるが、マイナス情報は入ってこない。親にいいことも悪いことも知らせてくれと絶えず私は言ってきた。情報を開示すると、信頼されてナイスパートナーシップが構築できる。理解してもらうことが必要。
讃岐 幸治
  隠しているとついつい疑ってしまう。ぼろをだすまいと。それが一番だめ。腹を決めて開くことが大事。
たとえば学校で高齢者の方がゲートボールをしている。学校の人間関係からすれば、ゲートボールをしている人たちは子どもたちにとって斜めの構造。斜めだからよく見える。あけっぴろげがいい。いじめなども見えやすい。学校は、教師が上で生徒が下の縦構造、なかなか見えにくい。地域は斜めでよく見える。今日は、いい話を聞かせていただいた。開くとはそういう意味でもある。
  新居浜では中学生が企画の段階から入ってやる、すごい。学校だけがやるのではなく、みんなが入ってやる。「みんなが参画している」、ここが欠けていた。裁判員制度も住民が入るようになった。そんな時代だ。学校経営に地域が参画しても当たり前、そんな時代だ。

  学校、地域の人たち、公民館、NPOなど、さらには子どもまでもが加わって、子どもたちがすくすくと育っていくためには、どうしたらいいか。互いに悩みや、願いやアィデャなどをぶっつけあう、とことん塾議を行う、そして共通の目的を達成するために協働して活動していく。こういう活動を積み重ねなることを通して、さらには学校の再生・創造を、公民館の変革をも図っていきたい。

  二回目は、実践事例を紹介する。久米地区の取り組み、三回目は堀江地区、そして、地域あるいは学校から、お互いがスクラムを組みながらどうやっていくか考えていく。


あいさつ
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